Latest Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『評決』と憲法学者

 映画には「法廷もの」と呼ばれるジャンルがあります。アメリカでは古くは『12人の怒れる男』、それをもとに日本でも『12人の優しい日本人』が作られました。そんな「法廷もの」の一つにポール・ニューマン主演の『評決』という映画があります。

 カトリック教会が運営する大病院で発生した医療過誤、そのミスで植物状態になった患者の代理人として大病院を訴えるのがポール・ニューマン演じる弁護士です。個人的には、ポール・ニューマンの最高傑作のひとつ、アカデミー主演男優賞を取ってもおかしくなかった作品だと思っています。

 映画では原告側の証人として呼ばれた黒人医師が病院側のミスを指摘します。対して被告代理人の弁護団はその証言自体を問題にするのではなく、証人のこれまでの経歴や他の裁判への参加の状況など尋ねるばかり。その意図は明白で、証人の社会的信用を失墜させることで、証言自体を信用のおけないものにする――金のためならなんでもやる悪徳弁護士のやり口です。

 ところで現在、衆院で強行採決され、舞台を参院に移した戦争法案、6月4日の衆院憲法審査会における与党推薦も含む3人の参考人全員が、現在の戦争法案は違憲、違憲の疑いと発言しました。政府・与党の狼狽ぶりはすさまじく、あわてて封印していた砂川判決を持ち出し、それが憲法学者からお門違いと批判を受けると「憲法学者の言う通りやっていたら国の安全は守れない」「憲法学者はどうしても憲法9条2項の字面に拘泥する」など憲法学者、そして憲法学そのものを批判し始めました。憲法学という学問、そして憲法学者の社会的信用を失墜させ、だから憲法違反の主張も間違い、そんな意図がありありです。まるで『評決』の中の被告弁護団を見るようです。

 『評決』は、被告弁護団の卑劣な弁護方針にもかかわらず、市民の代表である陪審員は真実を見抜きます。戦争法案の真実を今度は国民のみなさんが見抜く番です。



『宰相A』と『1984年』と安倍政権

 「現在わが国は、曇りも不安もない最強の同盟関係にあるアメリカとともに、世界に絶対的平和をもたらすための地球規模の、平和的戦争を行っている只中にあります」――聞き覚えのあるフレーズです。そう、まるで日本の首相の絶叫演説のよう。


 実はこの言葉は、今年2月に新潮社から出版された『宰相A』の中に出てくる宰相Aの演説です。作者である芥川賞作家の田中慎弥さんがどういう意図でこの作品を執筆したかは知る由もありませんが、出てくる宰相Aの言葉は今の日本の総理大臣にそっくり、そういえばイニシャルも同じです。


 この本を読むとジョージ・オーウェルの名作『1984年』を思い出します。「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」をスローガンとするビッグ・ブラザー率いる党が支配する世界、あらゆるところに監視のテレスクリーンの目が光り、平和省が世界的な戦争を遂行するさまは、盗聴の範囲を広げ、戦争法案を平和と読み替える今の日本の政権に酷似しています。


 『1984年』の主人公は報道、娯楽、教育、芸術を所管する”真理省”で、党にとって都合の悪い過去の情報を書き換える仕事に従事しています。そして、党のもう一つのスローガンが、「“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”」です。「侵略の定義は定まっていない」とし、都合の良いように歴史を塗り替えようとする日本の総理大臣とこれまたそっくりです。


 二つの小説は、いずれもフィクションですが、いまの日本の政権を見るようです。特にオーウェルの『1984年』は1949年に出版されており、現在の日本の姿に着想を得たわけでもありません。それでも似てしまう、二つの小説とも独裁を描いていますが、そういえばチャップリンの映画『独裁者』に出てくるヒトラーのカリカチュアであるヒンケルも風船の地球儀をこよなく愛していました。地球儀を俯瞰するのが大好きなところと似ています。


 安倍政権の暴走が止まらない、ロジックもなければ、立法事実もない中で、ただ、ただ、情念に駆り立てられてられる姿は異常です。首相自身も「国民の理解は進んでいない」と特別委員会で認めているにもかかわらず、強行採決を行う――常軌を逸しています。


 先の二つの小説はあくまでフィクションですが、現実はそのフィクションを乗り越えようとしています。「積極的平和主義」が成就すれば「地球規模の平和的戦争」までは電車道。食い止めるのは今しかありません。



大義なき解散――安倍政権に白紙委任状は渡せない

「なれ合い解散」、「バカヤロー解散」、「死んだふり解散」、「郵政解散」――奇妙な名前の付いた解散は過去に多々あるものの、これほど大義名分のない解散総選挙がかつてあったでしょうか。


今回の解散理由は、1年後の消費税増税を見送ることについての信を問うということのようです。しかし、解散せずとも消費税に対する国民の意思は、各種世論調査で明らかです。どの世論調査を見ても消費税再増税反対は過半数を超えています。国会でもすべての政党が消費税再増税について、延期、凍結、反対です。増税延期を決めても「おかしい」という声は出るはずもありません。


鳴り物入りで始まったアベノミクスは大失敗に終わろうとしています。異次元の金融緩和は、急激な円安を招き、輸入物価は高騰し、国民生活を直撃しています。機動的な財政出動という名のばらまきは、建設業での人手・資材不足を招き、東北の復興にまで悪影響を与えています。そして成長戦略。岩盤規制とレッテルを張り、労働分野の規制緩和や農林水産業を壊滅させるTPPへの参加交渉など、さらなる格差と貧困を生み出す政策を推し進めようとしてきました。駆け込み需要で一見好調に見えた経済はすでに危険水域に入っていたのです。


 そこに追い打ちをかけたのが消費税増税でした。増税から半年が経過しましたが、これまでの想定内との言葉とは裏腹にあらゆる経済指標が日本経済の危機を示しています。この見るも無残な経済実態から国民の目をそらすための解散総選挙になんの道理もないことは明らかです。


 今回の選挙は、野党の準備が整わないうちに選挙を行い、政権を維持することが目的です。そして、仮に与党が勝てばどんなことが起こるのか、次の言葉を思い出してください。「私が最高責任者、決めるのは私なんです、選挙で審判を受けるんです」――安倍総理が集団的自衛権を巡る論戦で発した言葉です。つまり、安倍総理は、選挙に勝てば何でもできる、白紙委任状を手に入れることができると考えているのです。


 集団的自衛権も、原発再稼働も、TPPも、勝てばなんでもできると勘違いしている安倍政権に白紙委任状を渡すのか――それが今回の選挙の最大の争点です。




学校教育法、国立大学法人法改正に反対

 本日の文部科学委員会で学校教育法、国立大学法人法改正案の採決が行われ、学校教育法改正案については修正、国立大学法人法改正案については原案が賛成多数で可決されました。社民党はいずれも反対しました。


 政府提出の学校教育法改正案は、教授会による過度な大学運営への関与が、大学改革を阻害していることを理由に、学長の権限強化を主な内容とするものです。しかし、委員会審議で明らかになったのは、教授会が過度に学校運営に関与しているという事実はなく、法改正をしなければならない立法事実が極めて希薄だということです。


 そもそも、教授会による大学運営への関与を制約する今回の改正案は、憲法23条が定める学問の自由を保障する大学の自治を脅かすものであり、「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」と定めた教育基本法第7条2項の精神とも相容れません。


 また、国立大学法人法の改正では、学長の選考にあたって、学内選挙の結果にのみ従って学長を選考している事例は皆無であるにもかかわらず、大学構成員の学長選考への関与を縮小させようとしています。さらに、経営協議会の学外委員が学内委員よりも必ず多くなければならないとした法改正も、大学運営に関して、大学構成員を軽視するものと言わざるを得ません。


 国立大学法人については、独立行政法人化から10年を迎え、大学運営交付金の額が当初よりも1割近く減少し、外部資金や競争的資金の獲得競争で大学間格差が拡大しています。また、大学の教職員は、評価書の作成等の膨大な事務作業に追われていると指摘されています。喫緊に取り組むべきは、学長の権限を高めるためのガバナンス改革ではなく、独法化以後の10年を検証し、大学間格差や教職員の多忙化の現状をどう解消していくかにあるのではないでしょうか。


 今回の法改正によって、権限を強められた学長が、目先の結果にとらわれ、利益のみを追求する企業や経営側が望む研究や教育分野に偏重することになれば、大学教育の多様性が失われ、結果として日本全体の学術研究のレベルを低下させることにつながりかねません。以上が、政府提出の2法案に反対する理由です。


 90年代半ばに、難問中の難問と言われたフェルマーの最終予想(※a^n+b^n=c^nでnが2より大きい自然数のとき、a、b、cは自然数解を持たない)を証明したアンドリュー・ワイルズ氏は数年にわたって秘密裏に研究を行い、その間、学会や国際会議にほとんど参加せず、論文も必要最小限しか発表しませんでした。その苦闘については『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著)に詳しく書かれていますが、こんな偉大な研究者は今回の改正でますます日本では生まれづらくなってしまいます。




教育委員会制度改悪に反対

 本日、地方教育行政組織法(地教行法)改正案が衆院文部科学委員会で採決され、与党などの賛成多数で可決されました。


 今回の改正は、戦後の地方教育行政の在り方を大幅に見直すもので、現在の教育委員長と教育長の二つを兼ねる新教育長というポストを新たに設けるものです。政府案は、自民党と公明党の協議が終わって、急いで法案化したがゆえに、そのたてつけや構成にも、欠陥が見受けられます。これでは、現場でがんばっていらっしゃる教育関係者の期待に応えられないばかりか、混乱をきたすのではないか、強く危惧します。


 委員会審議では3度の参考人質疑、そして宮城と福岡での地方公聴会が行われましたが、多くの参考人から、現行制度の下で教育行政の充実は可能だと指摘されました。つまり、教育委員会制度を大きく変更する理由は極めて薄弱だということです。


 他方で、今回の改正案によって、市長などの首長による教育行政への介入・関与が強化される可能性が出てきました。新たに設けられる首長と教育委員会による総合教育会議では、首長による教育委員会所掌事務への関与が強まる懸念が払しょくできません。


 さらに、絶大な権限を有する教育長に対するチェック機能が不十分な点です。また絶大な権限を持つ教育長であるがゆえに、いったん教育長が病気や辞職などで欠けた際には、教育委員会の機能が大幅に低下します。大津市のいじめ事件では、いじめが発生してわずか1か月で自殺へと発展してしまいました。子供たちの生命が危機にさらされている時に、非常勤の教育委員が教育長の職務を代理することは到底不可能です。


 他方、被害が発生する「おそれ」の段階で、文部科学大臣が是正指示を行えるよう法改正することは、いじめ事案を理由にして、国による地方自治への関与を強めるものとして容認できません。


 以上の理由から、採決では反対しました。来週には本会議採決、そして舞台が参議院に移ることになります。参院でのしっかりとした審議を望みます。






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。